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ホリガー讃

2015年9月の札響定期はホリガーさんを迎えての公演。ホリガーさんについてはツイッターのTL上でオーボエだけでなく指揮者・作曲者としても素晴らしいし、ピアノの腕前も凄いと紹介されいて以前から興味津々だった。演奏はまずオーボエ独奏でフンメルから始まった。ベートーヴェンと同時代に人くらいの認識しかなく、初めて聞くのだが最初に重々しい強奏で始まって思わず緊張した。ホリガーさんのオーボエの音はいたってクールだと思った。木管楽器の持つ柔らかさは少し控えめで鋭いとか神経質というのではなく、言葉どおりの意味でクールと表したい。ヴァイオリンのクレーメルの音の特徴に似た感じかな。のどかな古典様式の曲を想像していたら、独奏パートはけっこう大変そう。難しいパッセージが連続する曲だが、ホリガーさんはどんどんこなしていく。さすがにオーボエの神様のようにいわれる人だと思った。年齢を考えればなおさらだ。

 

続いてはシューベルト。「アンダンテロ短調」とあって、プログラムによるとあのハ長調交響曲の後に構想されたニ長調交響曲の一部だとか。低弦の再弱音による開始の後、オーボエ(!)がテーマを奏する。なんか寂寞感いっぱいの少し虚無的な旋律でけっこう暗くなる。少し後にファンファーレ的な主題も出てくるが、全体を通して最初のテーマが曲の雰囲気を決定しているような曲。音楽が進行していくととうとう弦首席によるカルテットになってしまった。そして再び低弦の再弱音による音楽。なんだか「未完成」みたいだなと思っていたら、なんとその「未完成」だった。まさかアタッカで続くとは思わなかったので意表を突かれた。それにしても両曲とも低弦の再弱音で始まりオーボエがテーマを奏するのだが、開始だけでなく全体的に音楽はかなり抑えられた感がある。ひたすら禁欲的に音楽が進行する印象が強く、弦や木管が楽器が持つ音の特色を十分に発揮させてシューベルト特有の旋律の美しさを際立たせることを避けているかのようだ。ちょうど指揮者のオーボエの音色のように。その代わり音楽の緊張度は高い。聞いていてそのピンと張りつめた様がいやというほど伝わってくる。これが両曲を通して最初から最後まで続くのだから、オケの集中はたいへんだっただろうと思う。その一方で強奏の部分はかなり量感をもって、しかし決して鋭くない柔らかな響きでホールを満たす。この対比も十分に考え抜かれた結果なのだろう。少々沈欝ではあるが、ホリガーさんのシューベルトに対するアプローチが十分に伝わる素晴らしい演奏だった。

 

休憩の後はバルトークの「オーケストラのための協奏曲」。この曲には思い出があって、一番最初に聞いたのが1971年4月16日の札響定期。シュヴァルツさんの指揮による演奏だったが、当時新聞で読んだのかプログラムにあったのかこの曲を指揮するにあたっての抱負を語っていた。自分としては札響の演奏会で現代曲も取り上げ、皆さんに聞いてもらいたいと思っていると。当時はバルトークもまだ「現代音楽」の時だった。正直、その演奏を聞いてよく分かったかというとそうでもなく、なんか凄いなあと思い現代音楽を聞いたんだという感慨にとらわれただけだったような。それから40数年がたち、こうして再び同じオケでこの曲を聞く。最初の序章こそ低弦の再弱音で始まり(これもだ!)少し重々しい印象があるが、「中断された間奏曲」になるとパロディと嘲笑のおふざけ的なところもあり、「終曲」の最後の大団円はある方のツイートで知ったのだがそれこそビッグバンド・ジャズそのものだ。いわれてみれば確かにそうだよなと膝を打つ指摘だった。この曲に関して作曲者は聴衆に媚びたと指弾されたというのもむべなるかななのだ。この曲がタイトルのとおり近代オーケストラによる合奏協奏曲だというのは知識として知っていたが、こうして実際にオケを見ながら聞いていると、なるほどもう木管金管が入れ替わり立ち替わりソロや二重奏を奏し続ける。なるほどそのとおりだな、と今さらながら感じ入ってしまった。録音で聞いているとなかなかそこのところが分かりにくい(自分だけかもしれないが)。それにしてもオケの皆さん、この曲を軽々と演奏しているようですっかり感心してしまった。テンポだって指揮者は決して遠慮していなかったと思うので、オケの実力はいかほどか。シューベルトではかなり緊張を強いられた(もちろん良い意味で)が最後は見事な大団円となって明るくコンサートを閉める。6月のエリシュカさん、7月のポンマーさんと今シーズン3回立て続けに名演が続き感無量です。終演後、指揮者は我々聴衆をそっちのけにしてオケに、オケは指揮者に盛大な拍手を送っていた。感動的な場面だった。ホリガーさんはまた札響で聞きたい。待ってます。

 

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