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オーケストラの伝統?

最近の札響とエリシュカさんの演奏を聞いて思ったこと。6月27日の札響名曲シリーズは1週間前の定期に引き続きエリシュカさんがタクトを振り、「新世界」ほかを演奏した。ドヴォルザーク交響曲は既に定期で演奏していたが、この曲は3年ぶりの再演になった。2012年4月の定期で聞いたときは2楽章の美しさが際立っていて、クラシック入門のときから何回となく録音、演奏会で聞いてきた曲ではあったがこの楽章がこれほどまでに歌い込まれた演奏は初めてだった。そして3年後にあらためて同じコンビで聞くことになったのだが、今度は全楽章が徹底的にじっくりと歌うという演奏になっていてもう散々聞いてきたこの曲の魅力をあらためて知ることになった。実は、翌日手持ちの録音3種を全部立て続けに聞いたくらいだ。続いてその7月に昨年11月の定期で演奏されたブラームスの第2ほかの全曲がCD化されて発売になった。この定期を聞いたときにはあまりメリハリを効かせたようには思えなかったが、じっくりと進めていき4楽章になると今までの積み重ねが生きてくるのか、十分な力感を持って最後のクライマックスに持っていったように思った。実はこのときにはことの半分しかわかっていなかったのだと思う。CDも最初聞いたときには4楽章の見事な大団円に拍手喝采だったのだが、翌日再度聞いてみてようやく気づいた。1、2楽章はメリハリを効かせるようなことがなく、悪くいえば平板だったかのように思っていたのだが、実はそうではなくて丁寧に歌っていたのだ。あの「新世界」と同じように徹底的に歌い込む、というスタイルで演奏されている。そうとわかるとこの最初の二つの楽章のきれいなこと。とりわけ弦の歌いぶりがすばらしく、この曲の美しさが際立つ。そうかあ、参ったなあというのが素直な感想だった。

 

このエリシュカさんの歌わせぶりに気づいたときに思い出したのが小澤征爾さんが1974年に札響を振ったときの新聞か何かに載っていた感想。札響のフレージングをとても褒めてくれて、これはシュヴァルツさんの功績だなあと語っていた。実際、このときの録音を聞くと最初に演奏されたハイドン交響曲第1番なんて古典様式なんか端から省みず、ひたすら歌いまくりでもう過剰なまでなのだ。シュヴァルツさんは確かバンベルク交響楽団首席チェリストを経て指揮者になったと聞いている。たぶん在任中は弦楽器奏者として札響に歌うことを柱に薫陶したのではないだろうか。もう一つ、歌うということではないのだが、今でもおぼえている演奏会がある。といってもまるで夢のように定かではない記憶なのだが、ノイマンさんが「わが祖国」を振った演奏会のこと。いつのことだかまるで記憶にないのだが、会場は確か札幌市民会館。同じ日に北海道厚生年金会館(当時)ではアメリカかどっかのオケが公演していて、(正直に言うと)その切符が買えなくて仕方なく札響の方を聞いたと思った。曲目も「わが祖国」全曲だったと思うのだが、どうだったのか全く定かではない。こんなとりとめもない記憶なのだが、演奏中と演奏後のいつにない只ならぬ雰囲気だけはおぼえている。それからだいぶ経ってから、指揮者が本国以外でこれほどの演奏をしたことはないと言っていたと聞いて、やはりそうかと納得したものだ。ノイマンさんといい、エリシュカさんといい東欧の指揮者と相性がよいのも札響の歌心にあるのではなかろうか。

 

カラヤンはかつてベルリン・フィルの奏者の入れ替わりがひんぱんにあってもオケが出す音は変化することはなく伝統は受け継がれていく、というようなことを語っていたのをおぼえている。欧米のオケではよくそういう伝統が語られる。昨今の札響の演奏は現在の首席奏者の皆さんになってからということが大きいと思っているので、安易に札響の伝統はなどということを語るつもりはさらさらないのだが、エリシュカさんが札響との演奏を大事にしてくれているのももしかしたら札響の歌う力にあるのかなと思う今日この頃である。

 

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