小説と脚本 「そこのみにて光輝く」から

 先日、シアターキノで「そこのみにて光輝く」の先行上映があり、終映後に呉美保監督と菅原和博プロデューサーのお二人によるトークが行われた。この後、引き続きキノ映画講座が開催され、ここでもお二人のお話を伺う機会があり、ここではその中で話されたことに基づき、原作と比較した映画の成り立ちを書いていこうと思う。ネタバレになるかもしれないのでご注意を。

 

 

 まず、大きく違うのが小説は「そこのみにて光輝く」と「滴る陽のしずくにも」の2部構成となっていて第2部では結婚して子どもができた達夫と千夏の話になっている。映画は第2部をなぞることはせず、基本的に第1部を映画化した。次に達夫の過去を大きく変えている。小説では造船所勤務として会社の人員整理と組合活動の関わりを背景にしたが、映画では砕石場の事故を引きずるという設定にしている。小説ではいくぶんニヒルな主人公だが、映画では苦悩に嘖まされる達夫が描かれる。

 

 当初、企画が動き出したときは第1部を映画化するという構想だったようだが、呉監督が引き受けるに当たって原作を読んだ結果、第2部での拓児の事件を取り入れることにしたという。しかし、脚本を書き始めるとこれがなかなか難航してしまい、結局これは高田亮さんが担当することになった。ちなみにこの脚本はそれから2週間で書き上げられたというから恐れ入る。第2部の事件を加えるという呉監督の考えは正しかったと思う。このことで映画がちょっとほろ苦い男女のラブストーリーから家族愛も含めて幅が広がったと思えるからだ。

 

 小説の労働争議の部分は、現在では映画を見る人に共感を得られないだろうということだった。そこで過去の事故を契機に仕事を離れたという設定にしたというのだが、これは説得力がある。小説では達夫が千夏に魅かれていく過程がなかなか見えにくい。少し大人でクールな達夫として描かれているのでなぜ千夏にというところが弱いのだが、映画では自責の念から逃れられない達夫が千夏を愛することによって救われていく過程が腑に落ちる。ここのところはむしろ映画のほうが小説より前面に出ていて、著者の思いがストレートに伝わっているのではないだろうか。原作を超える映画というのはなかなかないのかなというのが個人的な思いなのだが、この映画に関しては大幅な改変がむしろ原作の言わんとするところを端的に伝えることに成功していると思う。

 

 

 呉監督は綾野剛さんをキャスティングするに当たって、綾野さんの人気を十分に考慮したと言っていた。出演者の魅力でみせる映画と言う部分もちゃんと計算に入れながらも、ユーモラスなところや意表をつくところ、力を入れたというラブシーンもあって見ていて楽しい部分もけっこうある。そういうところも含めて、介護、家族、雇用といった要素をしっかり描いた映画だと思う。菅原プロデューサーがこの映画で社会から置き去りにされそうな若い人に希望を与えることができればといっていた。社会の底辺を描いたけっこう深刻な映画なので甘いハッピーエンドではないが、中身の濃い充実した映画になっている。上映前に代表の中島さんによる紹介があり今年のベストワン候補と評したときはまだ3月の時点でそんなこと言ってもよいのかな、と他人事ながら焦ったものだが、いや、決して大げさなことではないと思った。4月19日に始まったら、もう一度見てみよう。

 

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