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その美しさの陰に

    5月の札響定期を聞く。テーリヘンのティンパニ協奏曲という珍しい曲とブルックナーの第7交響曲というプログラム。実は今回の定期は夜と昼の両方を聞いている。これは初めての経験。

    協奏曲のソリストは札響の武藤さん。いつも果敢にオケを引っ張ている方だが、この曲でも大活躍でみんな大喝采だった。とりわけ2日目の方がノリが良かったように思えた。打楽器の曲というとどうしても単調というイメージを持っているのだが、この曲に関しては別。作曲者は長くベルリン・フィルティンパニ奏者を勤めた人だとか。繰り返し演奏されても良い曲だと思った。
 
 
    ブルックナーは好きなのかと聞かれると実はそれほど熱心に聞いているわけではなく、録音も含めて聞いたことがない曲がまだあるくらい。じゃ、どうして2回聞いたのかと聞かれるとちょっと困るのだが。とはいえ、実はこの演奏はとても良かった。札響のカラーとブルックナーはちょっと合わないというか、いわゆるブルックナー好きからすると札響の響きはたぶん「真逆」ではなかろうか。でも、尾高さんがタクトを振り下ろして曲が始まる。例のブルックナー開始でヴァイオリンがこれ以上には弾けないというくらいの弱音のトレモロに乗ってチェロとホルンがテーマを奏でるともうこれだけでその美しさに参ってしまった。あとは推して知るべし。札響の純度の高い音で音楽が次々と紡ぎ出されていく。弦が丁寧に歌い、木管同士のブレンドも素晴らしい。ただきれいなだけでなく、明晰で音楽が安っぽくならない。これを聞いていると作曲者が野暮で朴訥な田舎者だなんてとても思えないじゃないだろうか。
 
 とにかく美しいブルックナーだったと演奏会が終わってもしばらく感慨に浸っているうちに思い出した。演奏会が終わるまですっかり忘れていて突然思い出したのだが、以前TVでクリーブランド管弦楽団が同じ曲を演奏した番組を見た際に指揮者のヴェルザー=メストさんがインタビューでこの曲の調性がホ長調であることを取り上げ、この調性で書かれた交響曲は極めて少なくハイドンですら1曲しかないと言っていた。ではなぜ敢えてこの調性で書いたのかという謎解きに同じ調性で書かれているという「トリスタン」を挙げていた。何かへの「憧れ」が共通項になっているのだという。言われてみればこの曲を聞いた時の感慨というのは一種独特で、今回ようやく単に音楽の美しさだけでなく満たされない何かを心の奥底で感じていることに気づいた。それはこの曲を聞いた最初から秘かにずっと持ち続けているものであって、演奏会が終わった今でも切ない美しさが心の中で尾を引いている。尾高さんと札響の演奏はこの交響曲の秘密を明かしてくれたと思う。
 
 
 それともう一つ。今回、2回聞いて両方とも音楽の流れをよく理解して聞けた。個人的にはブルックナーの曲は長大さ故にともすると注意力が散漫になって流れを見失ってしまうことがよくある。今回は演奏会ということもあって気張っていただけかもしれないが、よく流れを捉えながら聞けたと思う。とりわけ4楽章は大概の曲でいつもおいてけぼりを喰らってしまうのだが、今回はおおそうかこうなっているんだと納得しながら聞き通せた。尾高さんのお蔭かな。でも、もしかしたら最後はオケの方が逆だったかもしれない。 
 
 

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