BRAVI!札響

    以前、何かで読んだことがあるのだが、とにかく指揮者は絶対ということ。演奏のすべてに権限をもち、したがって演奏の良し悪しもすべて指揮者の責任になる。聴衆の拍手もこれは指揮者に対するもので、それ以外のものではない。オケへの拍手はあくまで指揮者のおすそ分け。君たちにも少し分けてあげようという特別の計らいなのだ。

    でも、これは昔話、でなければ神話なのだろう。今なんて、終われば指揮者はすぐに木管、金管ほぼ全員立たせるのはいつものことで、とてもとてもすべての功は私にありますなんていう人はまず見ない。オケのメンバーの個々の技術は昔より格段に向上しているから、指揮者がああだこうだと口やかましく言わなくても自ずと音楽ができてくるところもあるだろうし、あまり指揮者がどうのとしゃかりきになることもなくなってきたこともあると思う。協奏曲のソリストも然り、終われば万雷の拍手を受け、聴衆に応え、しかる後にオケに向かってお辞儀するのが一般的だったと思う。

    しかしだ、最近の札響の演奏会はどうだろう。昨日の6月定期では最後の「ボレロ」が迫力あるオケの全奏で終わって会場が湧いた。指揮者のデルフスさんがソロを勤めた奏者を立たせるところまではいつものことなのだが、最後にスネアを叩いた若い奏者=大家さんを引っ張り出して指揮台に立たせてしまった。いやあ、これには驚いた。前代未聞、驚天動地の行為ではないか。オケのメンバーが指揮者がいるところで指揮台に立つなんてとても考えられない。22日の演奏会を聞いた方が先にこのことをツイートしていて、指揮者が「指揮したのは君だよ」ということだろうと書いていたがまったくそのとおりだと思う。カラヤンが日本公演の際にこの曲を取り上げ新人の奏者を抜擢したが、あまりの緊張に彼はうまくいかなかったとか。それを思い出すにつけ、大家さんの昨日の演奏がどの位素晴らしかったことか。あらためて賛辞を呈したい。

    そして、その前に演奏されたラヴェルのピアノ協奏曲ト長調。これも素晴らしい演奏で、終わると熱い拍手が沸き起こったが、ピアノのティベルギアンさんはそれにかまわず真っしぐらにイングリッシュホルン奏者のところに駆け寄った。これにも驚いた。2楽章でソロをとったのだが、その時の演奏がよほど嬉しかったのだろう。そして、ソリストはオケにも拍手拍手。そういえば3月定期のピアニストのラツィックさんもそうだった。われわれの拍手はそっちのけでオケに拍手していたし、2月定期の「トゥーランガリラ交響曲」の時もオンド・マルトノの原田さんがチェロ主席の石川さんに握手していた。指揮者でも1月のゲッツェルさん、3月の下野さんも終わった途端に木管のところまで駆け寄った。本当に嬉しかったのだろうと思う。とても社交辞令やパフォーマンスとは思えなかった。こうなるとどうも札響はものすごいオケなんだと思えてきた。贔屓の引き倒しの思い過ごしではないように。

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