カルメンは被害者?

 私のクラシック入門は中学生の時の「アルルの女カルメン」と「白鳥の湖」。ビゼーの方は音楽の授業で「アルルの女」組曲を聞かされ、部活で「カルメン」の前奏曲を練習した。こんな経緯で両方の組曲が入ったLPを買ってもらい、よく聞いた。演奏していたのはドラティ指揮のコンセール・ラムルー管弦楽団。実はこのLP、今も持っている。生涯の思い出の品なのだ。

 高校以降、オペラも聞き出し、当然、レパートリーに「カルメン」が入ってくる。中学の時に聞いていた組曲はどの曲も素晴らしく旋律は諳んじていた。が、組曲は当然できのいい曲ばかりで固めたものだし、オペラだと歌も入ってくる。言葉はわからないし、全曲を通すととにかく長い。しかも、筋立てはまだ子どもといっていい高校生にでもいわゆる「痴情のもつれ」としか思えない内容だ。性悪女に身を持ち崩し、捨てられる。しかも想いを寄せる純情な許嫁がいるにもかかわらずだ。あげくの果てに
  「昔を思い出してくれ、この間まで愛し合っていたじゃないか!ああ!捨てないでくれ、カルメン、捨てないでくれ!」
となると、さすがに聞く気になれない。あまりにも惨めったらしくないか。普通、男が女に言う台詞じゃなかろうと、このオペラは私の中でお蔵入りになった。

 それから幾星霜。ひょんなことから「カルメン」が復活した。きっかけはセルの語ったエピソード。R・シュトラウスがセルにこう語ったというのだ。『君、一番偉大なオペラは何だと思う。それは「カルメン」だよ、「カルメン」。』モーツァルトでもなく、ワーグナーでもなく、ましてや自分の作品でもなく、「カルメン」。それほどいうならもう一度聞いてみようと、ちょっとドスの効いたカルメンを歌うレオンタイン・プライス、指揮するはカラヤンの盤をまた買った。あらためて聞いてみると、確かに音楽は素晴らしい。もう最初から最後まで飽きない。こういう意味で匹敵するのはワタシ的にはモーツァルトぐらいだ。そして、気になった。歌詞を逐一対比させながら聞いていたら、引っかかる文句があった。占いをしていたカルメンが言う。「まあ、死ぬんだわ!まちがいない。私が先で、それから彼・・・・二人とも死ぬんだわ!」占いとはいえ、死ぬ可能性を知っていたカルメン。しかし、彼女は警告されてもつけ狙っている元カレ、ドン・ホセに自ら会いに行き、さんざんホセを拒否し、あげくの果てにナイフを持った男にもらった指輪を投げつける。もうこれは挑発、殺してくれといわんばかりじゃないか。そう思ったら、このオペラに対する考え方がひっくり返ってしまった。そう、カルメンはホセに殺されたんじゃない。ホセに殺させて、ホセを殺したんじゃないか。おそらく、悪女カルメンも本当は自分を愛してくれる男とずうっと一緒にいたい。だが、エスカミーリョが言う。「カルメンの恋は半年とつづかないのさ。」カルメンはそんな自分がつくづく嫌になっていた。そこで思った。すべてを投げ出してでも自分が好きだという男がいたらそいつと一緒になる。半年ではなく、永遠に。それを担保するのは死だ。愛をまっとうするために死ぬ。二人で。もしカルメンがそう考えたなら、もうこれは無理心中だ。ドン・ホセはカルメンの道連れにされてしまったのだ。カルメン、恐るべし。
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 * 歌詞は安藤元雄氏訳の音楽之友社オペラ対訳ライブラリー「カルメン」からです。
 * 「カルメン」に関してはWebなどで情報収集したわけではありませんし、取上げた本や雑誌を読んだわけでもありません。ここに書いたことはもしかしたらとっくに流布していることかもしれません。そうであれば、これは偶然です。決してパクリではありません。たまたま私が思ったことを書いたまでで、剽窃するつもりは全くありませんので、ご了承ください。