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石川祐支&大平由美子デュオ・リサイタルを聞いて

昨日9月22日にKitara小ホールで札響首席チェリストの石川さんとピアニスト大平由美子さんのリサイタルを聞く。2年前にも共演していたのだが、実はプログラムがすごい。2年前には前半の最後にベートーヴェンの3番を、後半の最後にブラームスの1番を配す選曲で、いやすごいなと思ったものだけど、今回はそれをも上回る内容になった。

 

 ベートーヴェン:チェロ・ソナタ第4番

 シューベルト:アルペジョーネ・ソナタ

 シューマンアダージョとアレグロ

 ブラームス:チェロ・ソナタ第2番

 

 と、どれが取りになってもおかしくない曲ばかりが4曲並ぶ。チケットを買い、あらためてチラシを見て曲目を確認した時は驚いた。1回の演奏会でこれを全部弾くのかと思うと少し引いたくらい。さすがにというべきか、終演後にお二人が挨拶されたけど、出てくる言葉が「どれもメインになってもおかしくない」「シューマンが終わったところで力尽きそうだった(大平)」「重量級」「聞かれた皆さんもお疲れのことと思います(石川)」。全面同意します。

 

 この演奏会に先立つ9月10日には同じく札響の廣狩さん夫妻を中心とするレイラ弦楽三重奏団の演奏会があり、この時のプログラムはモーツァルトも含めてブリテンナウマンの曲というなかなか渋い選曲で楽しませていただいたが、今回のは堂々の直球勝負といった趣の、それこそ「重量級」で聞かせてくれた。リサイタルには「ドイツ音楽の夕べ」とこれだけだとちょっとロマンチックに響くサブタイトルがついているけど、腹応えは十分以上であります。ただ、私はチェロを弾いているというか、触っている身ではありますが、これらの曲は弾いたこともなければ、あまり聞いてもいないという奴です。そういう前提でこれから感想を。

 

 演奏会の最初の曲はベートーヴェン!それも変奏曲ならともかく後期のソナタの第4番!最初からこれですからね。正直、大平さんの筆によるパンフレットの解説を頭に入れて聞いて納得するだけ。すみません、勉強します。次いで、「アルペジョーネ・ソナタ」。これは演奏会でも何回か聞いているし、CDも持っている。今回こうしてあらためて聞くと、というか見ていると親しみやすいきれいな旋律があちらこちらにある曲だけど親指ポジションがとんでもないことになっていることに初めて気付いた。そもそも想定された楽器が違うということが原因なんだけど、チェロで弾くとたいへんな技術が要求されるそうな。石川さんの演奏を見ていると、そのポジションがすらすらと弦の上を滑るように決まり、プロの人の伎倆にあらためて感じ入った。聞いているだけなら親しみやすい良い曲だなで終わるのかもしれないが、藤四郎さんが手を出す曲じゃないことはよくわかった。

 

 後半はシューマンから。恥ずかしながら初めて聞く曲です。題名のとおり二部に分かれた曲で、最初はゆったりきれいな旋律で始まる。チェロはその最初から一段とリキが入っていることが分かる音だ。いやあ、良い曲だなと思っているうちに後半のアレグロのところに。ここでは曲想がだんだんヒートアップしていき、どういうふうに表現すれば良いかわからないけどシューマン独特の昂揚感が前面に出てくる。石川さんがそこのところを十分にくみ取って盛り上げていくところは素晴らしかった。終わるとブラーヴォが飛び出したけど、それほど場違いという感じはしなかった。そして最後のブラームス。石川さんがチェリストとしての美質は歌の流麗さにあると思っている。けっこう難しそうなフレーズでも全くよどみを感じさせずに、やや高い方に寄ったきれいな音で滑らかに音楽が流れていく。こんな風に書くとひたすら美音で音楽がすらすらと進み、そして終わるみたいに取られるかもしれない。ブラームス室内楽は最初から取っつきやすい曲もあれば、聞いていても?という曲がある。この第2ソナタは私的には取っつきにくい曲なのだ。でも、この日の演奏ではこの曲がよく見えた。少し驚いたくらいで、とりわけ1楽章と4楽章が。ただきれいに音を繋いでいくだけの演奏なら聞いているうちに迷子になってしまう。もしかしたらちゃんとそこのところは工夫があるのかなと思った。そんなことは全くありません、と言われてしまうかもしれないが、交響曲を聞いていてもしょっちゅう迷子になる私にはちょっと驚きの演奏でありました。

 

 終わった後のお二人の挨拶を聞いているとどうも次がありそうな予感。であればまた聞きにいこう。でも、先ほどのレイラはあれが最後とのアナウンスがあり、キタラ・ホールSQも今後は予定がない中、少し救いになったがやはり寂しいものがある。レイラも再開してほしいと書いたが、SQも再開しないものだろうか。時に大森さんがぐいぐい引っ張っていく演奏をまたぜひ聞きたいものだが。

 

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小説と脚本 「そこのみにて光輝く」から

 先日、シアターキノで「そこのみにて光輝く」の先行上映があり、終映後に呉美保監督と菅原和博プロデューサーのお二人によるトークが行われた。この後、引き続きキノ映画講座が開催され、ここでもお二人のお話を伺う機会があり、ここではその中で話されたことに基づき、原作と比較した映画の成り立ちを書いていこうと思う。ネタバレになるかもしれないのでご注意を。

 

 

 まず、大きく違うのが小説は「そこのみにて光輝く」と「滴る陽のしずくにも」の2部構成となっていて第2部では結婚して子どもができた達夫と千夏の話になっている。映画は第2部をなぞることはせず、基本的に第1部を映画化した。次に達夫の過去を大きく変えている。小説では造船所勤務として会社の人員整理と組合活動の関わりを背景にしたが、映画では砕石場の事故を引きずるという設定にしている。小説ではいくぶんニヒルな主人公だが、映画では苦悩に嘖まされる達夫が描かれる。

 

 当初、企画が動き出したときは第1部を映画化するという構想だったようだが、呉監督が引き受けるに当たって原作を読んだ結果、第2部での拓児の事件を取り入れることにしたという。しかし、脚本を書き始めるとこれがなかなか難航してしまい、結局これは高田亮さんが担当することになった。ちなみにこの脚本はそれから2週間で書き上げられたというから恐れ入る。第2部の事件を加えるという呉監督の考えは正しかったと思う。このことで映画がちょっとほろ苦い男女のラブストーリーから家族愛も含めて幅が広がったと思えるからだ。

 

 小説の労働争議の部分は、現在では映画を見る人に共感を得られないだろうということだった。そこで過去の事故を契機に仕事を離れたという設定にしたというのだが、これは説得力がある。小説では達夫が千夏に魅かれていく過程がなかなか見えにくい。少し大人でクールな達夫として描かれているのでなぜ千夏にというところが弱いのだが、映画では自責の念から逃れられない達夫が千夏を愛することによって救われていく過程が腑に落ちる。ここのところはむしろ映画のほうが小説より前面に出ていて、著者の思いがストレートに伝わっているのではないだろうか。原作を超える映画というのはなかなかないのかなというのが個人的な思いなのだが、この映画に関しては大幅な改変がむしろ原作の言わんとするところを端的に伝えることに成功していると思う。

 

 

 呉監督は綾野剛さんをキャスティングするに当たって、綾野さんの人気を十分に考慮したと言っていた。出演者の魅力でみせる映画と言う部分もちゃんと計算に入れながらも、ユーモラスなところや意表をつくところ、力を入れたというラブシーンもあって見ていて楽しい部分もけっこうある。そういうところも含めて、介護、家族、雇用といった要素をしっかり描いた映画だと思う。菅原プロデューサーがこの映画で社会から置き去りにされそうな若い人に希望を与えることができればといっていた。社会の底辺を描いたけっこう深刻な映画なので甘いハッピーエンドではないが、中身の濃い充実した映画になっている。上映前に代表の中島さんによる紹介があり今年のベストワン候補と評したときはまだ3月の時点でそんなこと言ってもよいのかな、と他人事ながら焦ったものだが、いや、決して大げさなことではないと思った。4月19日に始まったら、もう一度見てみよう。

 

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尾高さんのこと

 先日、ツイッターで尾高さんが来シーズンで音楽監督を離れると知って驚いた。元々契約がそうなっていたとのことで、そういうことならそうなのかと納得しなきゃならない。先日のNewKitaraホールSQの時もそうだったが、どうもそういうところが疎くて他の人が知っていることでも驚いてしまう。

 

 それから時々だけど尾高さんの演奏会のことを思い出す。実は若い頃から聞いてきた演奏会の中でも最多指揮者は誰かとなるともしかしたら尾高さんかもしれない。もちろん正確なカウントをしたわけではないけど、オケで一番多く聞いたのはもちろん札響だし、その札響の定期でも昔から尾高さんは随分と振ってきたからそうなんだろうなあということなのだが。それで尾高さんの指揮で一番古い記憶を探ると、今でも憶えているのが「ドイツ・レクイエム」。調べてみたら1983年の7月定期だった。静謐な中に穏やかに歌われる演奏にこの曲のすばらしさを知ったものだ。その後はブルックナーマーラーなどの大曲となると聞きに行った。ブルックナーだと7番、8番と9番を聞き、マーラーだと2番と5番を。札響定期のつまみ食い状態が続いたけど、転機は2009年。石川さんの「ドン・キホーテ」を聞いて、11月にエルガーを聞いたとき。この当たりからようやくなんかすごいことになっていないかとおぼろげながら意識し始めたと思う。翌2010年6月のデュリュフレのレクイエム、続いて9月のマーラーの第3を聞いて決定的だった。恥ずかしながらようやく第一級のレベルの演奏をしていることを悟った次第。そして2011年2月のショスタコーヴィチ第5番の超名演を聞いてノックアウトされた。5月にヨーロッパ公演を控えていたけど、これだけの演奏ができるなら向こうの聴衆も驚くだろうなと思ったものだ。

 

 それからはシベリウスグリーグのCDを買い、ベートーヴェンのチクルスを聞き、エルガーを聞き、CDを買い求めですっかり札響オンリーの状態になってしまった。こうなると返す返すも残念なのが「ピーター・グライムズ」を聞かなかったこと。他にも今になってなんでこれ聞いてないんだという演奏会がいっぱいあって悔しい思いをしている。こうしてみると以前から札響の定期の企画はすごかったんだなと思う。札幌のクラシック好きはつまみ食いなどせずに札響の定期会員になりましょう。今は関心がなくても聞けばこんな良い曲もあったんだと思うこと請け合い。個人的にはエルガー然り、シベリウス然り。来シーズンのプログラムも毎回すごい企画で楽しみだ。尾高さんはヴェルディのレクイエムとマーラーの第9という大曲を2曲、そしてシベリウスを完結してひとまず音楽監督を降りることになる。前々からぜひ札響でマーラーの第9を聞きたいと思い、以前アンケートでも希望していたのだが、こういう形で実現するとは。最近、ツイッター上でシェフがその地位を降りるときに振る曲にマーラーの第9が多いというのを読んだが、なるほどなと思った次第。

 

 尾高さんはもう十数年にわたって札響をリードしてきて、その間にオケは国際レベルの演奏をするようになった。3年前のヨーロッパツアーでそのことを証明したと思うけど、やはりこの功績はすばらしいものだと思う。私が若いときには日本のオケが欧米で絶賛される日が来るなどということは思いもしないことだった。でも、こうしてそれは現実のものになっているし、札響はその先べんをつけた。このことはこれからの1年をかけてじっくり噛みしめたいと思う。

 

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札響の弦にしてやられる

 6月8日の札響名曲シリーズを聞く。前回がほんの少し前の5月25日だったけど、風邪で寝込んでいて無念の欠席。実はこの日になっても耳が不調で残念だった。

 で、今回の最初はブリテンの「シンプル・シンフォニー」。楽団員の登場は弦だけであっさり終わる。その名のとおり、聞いていると簡単に曲の組立がわかる。印象的だったのは3楽章のサラバンド。他の楽章に比べて長めの曲で、音楽は全然南国風ではないが、でも聞いているとその出自が背景で微かに鳴り響いているような気がした。弦の美しさがもう1曲目から全開で、指揮の尾高さんもこの曲が好きなんだろうなと思わせる見事な演奏。もうこの曲だけで今日は終わっても良いくらいだった。

 

 2曲目が横坂源さんをソリストに迎えたハイドンの第1チェロ協奏曲。この曲は確か昔習っていた頃練習したことがあったはず。だが、全然歯が立たず先生もすぐに他の曲に替えてしまったと記憶している。ちょっとお恥ずかしい思い出の曲。横坂さんは臆することなくもう自信満々に弾いていた。羨ましい。チェロは札響の人とかと思うくらい同質の音で、つまり純できれいな音。バックのオケも弦がここでも滑らかかつ柔らかい音でソロを支える。3楽章も大詰めでソロも弦もウルトラスムースな音色で快調にとばしているところなんかガソリンエンジンではなく電気モーターで疾走する車を連想させた。ハイドンがこれで良いのかと思いつつも、絹のような手触りの音色に少し酔いながら聴き入ってしまった。アンコールは「鳥の歌」だったが、オケのチェロが伴奏するというヴァージョン。これ何だろうと思ったら、帰りの掲示に「チェロアンサンブル編曲文屋治実」とあった。チェロの文屋さんが手を入れ、チェロ同士でサポートするという粋な計らいだったのだ。

 

 休憩後の後半はヴェルディの序曲集。「ナブッコ」「シチリア島の夕べの祈り」「椿姫」「ルイザ・ミラー」と「運命の力」。熱心なヴェルディの聞き手ということはなく、録音で聞いたことがあるのも「椿姫」「リゴレット」「アイーダ」「オテロ」ぐらい。それも学生時代だけだと思った。「椿姫」を除けば後は全然知らなくて、「運命の力」を昨年のコンサートで聞いただけ。それでも聞いていて楽しめた。1曲終わるごとにさあこれからどんな舞台になるんだと少しワクワクしたものだが、これこそが序曲の役割だということがよくわかった。この5曲の中で印象的だったのは「椿姫」第1幕への前奏曲かな。ここでも弦がきれいで、ちょっと浮ついた軽薄な曲と並行して流れるヴィオレッタの悲しみが切々と伝わってきたものだ。アンコールあり。もう定番の「カヴァレリア・ルスティカーナ」の間奏曲。クラオタの端くれとして心は動かされまいぞと固く決めたが、ここでも弦の音にあえなく降参。この日は札響の弦にとことんやり込められた一日でありました。

 

 写真はKitaraに向かう途中の中島公園の藤棚。初夏の陽気の中、花が咲き始めた。下を歩いているとかぐわしい匂いが。

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その美しさの陰に

    5月の札響定期を聞く。テーリヘンのティンパニ協奏曲という珍しい曲とブルックナーの第7交響曲というプログラム。実は今回の定期は夜と昼の両方を聞いている。これは初めての経験。

    協奏曲のソリストは札響の武藤さん。いつも果敢にオケを引っ張ている方だが、この曲でも大活躍でみんな大喝采だった。とりわけ2日目の方がノリが良かったように思えた。打楽器の曲というとどうしても単調というイメージを持っているのだが、この曲に関しては別。作曲者は長くベルリン・フィルティンパニ奏者を勤めた人だとか。繰り返し演奏されても良い曲だと思った。
 
 
    ブルックナーは好きなのかと聞かれると実はそれほど熱心に聞いているわけではなく、録音も含めて聞いたことがない曲がまだあるくらい。じゃ、どうして2回聞いたのかと聞かれるとちょっと困るのだが。とはいえ、実はこの演奏はとても良かった。札響のカラーとブルックナーはちょっと合わないというか、いわゆるブルックナー好きからすると札響の響きはたぶん「真逆」ではなかろうか。でも、尾高さんがタクトを振り下ろして曲が始まる。例のブルックナー開始でヴァイオリンがこれ以上には弾けないというくらいの弱音のトレモロに乗ってチェロとホルンがテーマを奏でるともうこれだけでその美しさに参ってしまった。あとは推して知るべし。札響の純度の高い音で音楽が次々と紡ぎ出されていく。弦が丁寧に歌い、木管同士のブレンドも素晴らしい。ただきれいなだけでなく、明晰で音楽が安っぽくならない。これを聞いていると作曲者が野暮で朴訥な田舎者だなんてとても思えないじゃないだろうか。
 
 とにかく美しいブルックナーだったと演奏会が終わってもしばらく感慨に浸っているうちに思い出した。演奏会が終わるまですっかり忘れていて突然思い出したのだが、以前TVでクリーブランド管弦楽団が同じ曲を演奏した番組を見た際に指揮者のヴェルザー=メストさんがインタビューでこの曲の調性がホ長調であることを取り上げ、この調性で書かれた交響曲は極めて少なくハイドンですら1曲しかないと言っていた。ではなぜ敢えてこの調性で書いたのかという謎解きに同じ調性で書かれているという「トリスタン」を挙げていた。何かへの「憧れ」が共通項になっているのだという。言われてみればこの曲を聞いた時の感慨というのは一種独特で、今回ようやく単に音楽の美しさだけでなく満たされない何かを心の奥底で感じていることに気づいた。それはこの曲を聞いた最初から秘かにずっと持ち続けているものであって、演奏会が終わった今でも切ない美しさが心の中で尾を引いている。尾高さんと札響の演奏はこの交響曲の秘密を明かしてくれたと思う。
 
 
 それともう一つ。今回、2回聞いて両方とも音楽の流れをよく理解して聞けた。個人的にはブルックナーの曲は長大さ故にともすると注意力が散漫になって流れを見失ってしまうことがよくある。今回は演奏会ということもあって気張っていただけかもしれないが、よく流れを捉えながら聞けたと思う。とりわけ4楽章は大概の曲でいつもおいてけぼりを喰らってしまうのだが、今回はおおそうかこうなっているんだと納得しながら聞き通せた。尾高さんのお蔭かな。でも、もしかしたら最後はオケの方が逆だったかもしれない。 
 
 

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岩井監督を知る

 先日、シアター・キノでの岩井俊二ウィークの初日に参加してきた。「ラブ・レター」や「花とアリス」で高名な監督の作品を見るのは実はこれが初めて。この日は「リリイ・シュシュのすべて」「花とアリス」「四月物語」の3作品が上映された。長丁場になるので始まる前は少し後悔したが、始まると3作品とも集中して見てしまった。これほどの監督がいたなんて自分の不明を恥じるばかり。

 

 「リリイ」の暴力の世界は衝撃で作品の合間のトークでも観衆の顔が引きつっていたと評されるくらい。監督のトークではこれでも取材したいじめの実態に比べるとおとなしい方だというので二重にショックだった。次の「花とアリス」は全く逆で悲劇の次は喜劇を地で行ったような配列。蒼井優さんが演じるアリスと父親との交流のシーンは我が身を照らしてほのぼのとした気分にさせられた。終映後の監督への拍手は盛大だった。最後の「四月物語」は設定が旭川出身の新女子大生ということで俄然身近なものに。3作品の主人公は他の参加者が言うとおり中学生→高校生→大学生の順になっていて、四月物語はまさに今月のこと。作品の選択・配列は見事だと思った。

 

 合間のトークや終映後の別会場での交流会では監督から作品への言及、監督業の実際や、H・G・ウェルズ恒久平和論や、学校という制度についてや果てはこれからの映画市場では中国やインドが圧倒的な存在を示すというような話まで多岐にわたり刺激的だった。これからの活躍はもちろんだけど、不勉強だった私には今までの作品も要注目でひととおり当たってみたい。

 

 

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そうだ、ウィーン行こう

  と言っても、札幌のいわゆる名曲喫茶です。ちょっとしたきっかけがあってこの店のことを思い出しました。学生時代には彼の地でもまだ2、3軒はあった形態の喫茶店ですが、今ではほとんど見かけないはず。しかし、ここでは「ウィーン」が健闘中です。場所は中央区南2条西7丁目というか、狸小路7丁目といった方が分かりやすい。ただし、以前ここを通りかかった時はこう言ってはなんですが場末も場末といった印象を持ったところ。その時は店に全然気づかなかった。すみませんm(_ _)m。外観は写真のとおり。やはり古い。

 

 前回行ったのが、当時のアンサンブル仲間に連れられていった時。もう何十年も前です。憶えているのが、ケースの中にあったマッキントッシュのアンプのあの青いインジケーター。店は地下にあり、階段を下りることになる。下りるとすぐに音楽が聞こえてくる。なんとブルックナー。偶然なんでしょうが、いかにもといった感じです。ドアを開けて入ると、まず目に飛び込んでくるのが大きなスピーカー。オーディオは詳しくないのでどこのメーカーかわかりませんが、高さはほぼ2m近く。ウーファーが縦に4つ、同じくスコーカーが12個!それとその間にやはりマッキントッシュ(もちろん、あのアップルのMacとは違う。スペルも違うはず。)のプリとパワーの巨大なアンプ2台が鎮座している。見た目、最新鋭。あの青い光は相変わらず。アンプの後ろにバーンスタインの写真が掛けてある。先客は5人ほど。その中では私はまだ若手かなw。椅子はさすがに年季が入っているけど、店全体としてはそれほど古いといった感じはない。もっとも照明は当然のことながら暗いんだけど。総じて皆さんじっと聞いているが、一人最前列にいるご老人は遠慮なくスポーツ新聞をめくっていた。あまり神妙にしていなくても良さそうだ。後から来て、私の前に座った人はおもむろにタバコを吸い出して驚いた。見てみれば私のところのテーブルにも灰皿が。こういうところも本当にオールド・ファッションだ。

 

 かかっていたのはブルックナーの第4、次がラフマニノフの第1(!)ピアノ協奏曲。その次、ブラームスの第3が流れている時に失礼した。最初はこれだけの装置なのに大した音ではないなと思っていたが、聞いているうちにわかった。これだけの超高級になると、音は全くの自然体になって聞こえる。高音や低音がこれでもかとばかりに耳に飛び込んでくるのではなくて、あたかもホールで生を聞いているように響く。唸りましたよ。ブラームスがかかっている時になると、すっかり和んでいる自分がいました。いつも聞きつけている演奏と違ってずいぶんとゆったりとして重厚な演奏でしたが、こうして腰掛けてスピーカーに対峙して聞いているとそれはそれでブラームスを堪能しました。先ほどラフマニノフと書きましたが、聞いている時は誰の曲だか分からず店を出る時にご主人にたずねたのですが、丁寧に教えていただきました。これほど感じよく教えてもらえることはあまりない。店を後にした時は、また来ようと思いました。受動喫煙をものともせずに。

 

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